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米飴は越後高田(現新潟県上越市)高橋孫左衛門氏によって、寛政2年(1625年)に初めてもち米にて淡黄色透明の飴をつくることに成功、発売されました。
また十返舎一九(東海道中膝栗毛の著者)は越後を旅し同氏の店を尋ねた時、初めて米飴を食べ賞賛されました。
斯くしてその後各地に家庭産業として発展、明治末期には数千軒の多きに達しそのため全国の業者は廃業に追い込まれました。
大正昭和となり戦中戦後に至り、食料米不足からついに製造禁止となり、化学の進歩により馬鈴薯・甘藷等の澱粉を薬品糖化した澱粉飴(俗に言う水飴)が製造されました。しかしこの飴は栄養も少なく風味がないため原料飴として企業により大量に製造され市場に安く販売され、その後一般に用いられるようになり、今では米飴を知らない人も多くほどになってきました。
自然の色・風味ともそのままの、食べ飽きない性質を持つ栄養価の高いこの越後の米飴を澱粉飴と間違えられぬよう、『気のちから飴』と命名し瓶詰めとして発売いたしました。
勉強の際または出産・病気療養時にヘルシー食品として、ぜひ、ご愛用下さい。
また米飴と水飴を混ぜ合わせ、食べやすく最中の中に入れ商標を『雪国っ子』と出願登録をうけ、茶菓やお進物用に発売いたしました。
また、白くなるまで練り熊笹に包んだ『笹飴』は夏目漱石の”坊ちゃん”に書かれて有名です。 |
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